よく「私は人見知りだから・・・」という人がいます。
僕も、以前は人見知りだったように思います。
しかし、訓練で慣れることができます!
どのような人に向けての記事か
・自分のことを「人見知り」だと思っている人
・「人見知り」を克服したい人
以前の僕も人見知りでした
実は以前の僕も、自分を「人見知り」の性格だと思っていました。
そう・・・思い込んでいたのでした。
僕は、どうやって人見知りを克服したのか
実は、僕の場合、意識をして「人見知り」を克服したわけではありません。
僕の場合は、環境が変わったことが克服できた大きな要因でした。
環境が変わったことで、必然的に人と交流することやコミュニケーションをとることが増えたのです。
そう、それは今の仕事「看護師」を始めたからです。
よく考えると、看護学校という特殊な環境に身を置いたことも1つの要因であったかもしれません。
環境が変わって、多くコミュニケーションをとるようになって
もちろん、最初は疲れることもありました。
自分で上手くコミュニケーションをとれないと思い込んでいるものだから、
いちいち相手に、どんな風に思われているのかを気にし過ぎて、ぎこちないこともあったかもしれません。
でも、それでいいんですよね。
コミュニケーションって上手く取れることが目標ではない
そもそも、コミュニケーションって何のためにとるものなのでしょうか
コミュニケーションとは・・・
国語の辞書を見ると「社会生活を営む人間が互いに意思や感情、思考を伝達し合うこと。言語・文字・身振りなどを媒介として行われる。」
「人間が互いに意思や感情を、思考を伝達し合うこと」であるのであれば、時間がかかろうが上手く言葉で伝えきれなかろうが、最終的に互いの中で分かり合うことができれば、それでよいと思うのです。
そもそも、今でも僕は口下手です(笑)
もしかしたら、思いが細部まで届いていなかったり、相手の思いや考えを受け取ることができていない可能性もありますが、そんな不器用なコミュニケーションも人間的でいいじゃないですか?
そもそも、完璧に互いを理解し合えることは不可能ですし、
できたとしたら、なんと、完全で楽しくない世界でしょうか?
どんどん人と交流すれば、必ず、あなたのコミュニケーション方法が生まれます。あなたのキャラクター、話し方、行動、表情等、すべてがあなた自身を演出します。
不完全なコミュニケーションが面白いんです
互いの誤解からケンカすることもあるかもしれませんし、何かが上手くいかないこともあるかもしれません。
「だが、それがいい!」
それこそが、人生を楽しくするスパイスなのではないかと思います。
おもしろいもので、誤解を繰り返しているうちに、言葉を交わさなくても、なぜか、互いのことがわかるようになってきます。
それは、おそらく、誤解を繰り返しながら、互いを知っていくうちに、本当の意味で互いの考えていることや性格がわかってきて「あいつなら、こんな風に考えるだろう」ということもわかってきます。
大人になっても「私、人見知りなんです」 と言っている人は、完全に自分への甘えです
大人になっても「私、人見知りだから・・・」と言っている人は、自分に対して甘えていると考えます。
人と関りを持たないで、生涯を終えるのであれば、それでもよいかもしれません。
しかし、他者と1ミリも関りを持たないで、生きていくことはありえません。
コミュニケーション能力は必ず、鍛えられます。ぜひ、自分から環境を変えたり、他者に声をかけてください。必ず、できるようになります。
赤ちゃんだって、こんなに全身全霊でコミュニケーションをとろうとしてますよ^^
まとめ
コミュニケーションは、決して得意である必要はありません。
しかし、生きていく中では必要な技術です。
まずは、挨拶から始めてみることをおすすめします。
意外に、挨拶ができない大人は多いものです。
今回は「【人見知り】という人はコミュニケーション能力を鍛えていないだけです」というテーマで書かせていただきました。
それでは^^
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